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2009年8月3日に逝去した女優の大原麗子さん。

孤独死の死因の病気について、
様々な噂が流れているようですね。

2015年10月5日放送の「私の何がイケないの?」
では、死の直前の大原麗子さんの様子や
自宅豪邸の騒然な様子が明らかになります。

また実家の和菓子屋「田月堂」との確執の噂も
気になったので調べてみました。

プロフィール

名前 大原 麗子(おおはら れいこ)
生年月日 1946年11月13日
出身地 東京都文京区
身長 157㎝
血液型 AB型

 

孤独死の死因はあの病気!?

大原麗子さんは1964年に女優デビューし、
1989年にはNHK大河ドラマ「春日野」で主演を演じ
以降様々な作品で主役を演じてきました。

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男はつらいよ」シリーズで2回、
ヒロインを演じたことでも有名ですね。

日本を代表する名女優を言っても
過言ではありません。

プライベートでは27歳の時に
俳優の渡瀬恒彦さんと結婚します。

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大原麗子さんの一目ぼれだったそうで、
猛烈なアプローチの末ゴールインしたそうです。

しかし二人の結婚生活は長くありませんでした。

結婚したことで魅力が増した大原麗子さんには
仕事のオファーが急増。

多忙極まりない生活が続き、
すれちがいの生活が続いたそうです。

そして渡瀬恒彦さんが京都でシリーズ作品の撮影が
始まるため、大原麗子さんについて来て欲しいと
お願いしたそうです。

東京に残って女優としての道を歩むか、
京都に行って主婦となるか大原さんは悩みました。

(「京都に行って女優の仕事を探す」という道は
なかったのでしょうかね?)

結局、大原麗子さんは女優業を続けることを選択。

夫とは2年に及ぶ別居生活を送っていましたが、
結婚5年目で離婚してしまいました。

大原麗子さんは何より女優として生きていくことを
望んだのですね。

しかし大原麗子さんが50歳を超えた後、
主役級の仕事のオファーは激減してしまいました。

40~50代になると仕事が激減するのは
ハリウッド女優にもよくある話ですが、
大原さんは年を重ねることに恐怖を感じたそうです。

その思いが、大原麗子さんを整形手術に走らせます。

元々右目が一重だったことにコンプレックスを
感じていた彼女は整形手術を受けますが、失敗

顔がパンパンに腫れあがってしまい、
主演映画の仕事も降板せざる得ない状況に。

これを機に、大原麗子さんへの仕事のオファーは
ほとんど来なくなったそうです。

また大原さんの人生は病気との闘いでもありました。

彼女は29歳の時に「ギランバレー症候群」という
難病を発症し女優活動を休業していました。

この病気は自己免疫疾患のひとつで、
手足の力が急に入らなくなり、しびれが出ることも。

顔面の筋肉や目を動かす筋肉にも力が入らなくなり、
呂律が回らなくなることもあるそうです。

女優として働いている大原さんにとって
致命的な病気であることに違いありません。

4年間の療養生活を経て女優復帰を果たしますが、
大原麗子さんは晩年にも再発してしまいます。

2009年8月6日、大原麗子さんは逝去されました。

発見されたのは死後2週間後だったそうです。

死因はギランバレー症候群ではなく、
不整脈による脳内出血が原因だったそうです。

実家の和菓子屋「田月堂」と確執!?

大原麗子さんの実家は創業50年を超える
文京区の老舗和菓子屋「田月堂」

2009/08/07 09:38
2009/08/07 09:38

由緒正しいお家のように思われますが、
大原麗子さんの母親は「娘の墓には入らない」と
母娘で確執があったようです。

大原さんの両親は、父親の女癖の悪さが原因で
麗子さんが幼い時に離婚しています。

父親は元々男の子が欲しかったので、
娘である大原麗子さんに対して暴力を振るうことが
あったそうです。

父親の暴力のせいで、彼女の鼻は少し変形して
しまったと言われています。

大原麗子さんは父親を憎んでいたそうです。

父親が用意していたお墓に入りたくなかったそうですが、
亡くなるのが急だったため大原の墓に入っているそうです。

また母親は希望通り大原の墓ではなく、
共同供養塔になったとのこと。

幼少時から壮絶な人生を歩んでいた大原麗子さん。

天国ではゆっくり休まれているといいですね。