孤独死の死因の病気について、
様々な噂が流れているようですね。
2015年10月5日放送の「私の何がイケないの?」
では、死の直前の大原麗子さんの様子や
自宅豪邸の騒然な様子が明らかになります。
また実家の和菓子屋「田月堂」との確執の噂も
気になったので調べてみました。
プロフィール
名前 大原 麗子(おおはら れいこ)
生年月日 1946年11月13日
出身地 東京都文京区
身長 157㎝
血液型 AB型
孤独死の死因はあの病気!?
大原麗子さんは1964年に女優デビューし、
1989年にはNHK大河ドラマ「春日野」で主演を演じ
以降様々な作品で主役を演じてきました。
「男はつらいよ」シリーズで2回、
ヒロインを演じたことでも有名ですね。
日本を代表する名女優を言っても
過言ではありません。
プライベートでは27歳の時に
俳優の渡瀬恒彦さんと結婚します。
大原麗子さんの一目ぼれだったそうで、
猛烈なアプローチの末ゴールインしたそうです。
しかし二人の結婚生活は長くありませんでした。
結婚したことで魅力が増した大原麗子さんには
仕事のオファーが急増。
多忙極まりない生活が続き、
すれちがいの生活が続いたそうです。
そして渡瀬恒彦さんが京都でシリーズ作品の撮影が
始まるため、大原麗子さんについて来て欲しいと
お願いしたそうです。
東京に残って女優としての道を歩むか、
京都に行って主婦となるか大原さんは悩みました。
(「京都に行って女優の仕事を探す」という道は
なかったのでしょうかね?)
結局、大原麗子さんは女優業を続けることを選択。
夫とは2年に及ぶ別居生活を送っていましたが、
結婚5年目で離婚してしまいました。
大原麗子さんは何より女優として生きていくことを
望んだのですね。
しかし大原麗子さんが50歳を超えた後、
主役級の仕事のオファーは激減してしまいました。
40~50代になると仕事が激減するのは
ハリウッド女優にもよくある話ですが、
大原さんは年を重ねることに恐怖を感じたそうです。
その思いが、大原麗子さんを整形手術に走らせます。
元々右目が一重だったことにコンプレックスを
感じていた彼女は整形手術を受けますが、失敗。
顔がパンパンに腫れあがってしまい、
主演映画の仕事も降板せざる得ない状況に。
これを機に、大原麗子さんへの仕事のオファーは
ほとんど来なくなったそうです。
また大原さんの人生は病気との闘いでもありました。
彼女は29歳の時に「ギランバレー症候群」という
難病を発症し女優活動を休業していました。
この病気は自己免疫疾患のひとつで、
手足の力が急に入らなくなり、しびれが出ることも。
顔面の筋肉や目を動かす筋肉にも力が入らなくなり、
呂律が回らなくなることもあるそうです。
女優として働いている大原さんにとって
致命的な病気であることに違いありません。
4年間の療養生活を経て女優復帰を果たしますが、
大原麗子さんは晩年にも再発してしまいます。
2009年8月6日、大原麗子さんは逝去されました。
発見されたのは死後2週間後だったそうです。
死因はギランバレー症候群ではなく、
不整脈による脳内出血が原因だったそうです。
実家の和菓子屋「田月堂」と確執!?
大原麗子さんの実家は創業50年を超える
文京区の老舗和菓子屋「田月堂」。
由緒正しいお家のように思われますが、
大原麗子さんの母親は「娘の墓には入らない」と
母娘で確執があったようです。
大原さんの両親は、父親の女癖の悪さが原因で
麗子さんが幼い時に離婚しています。
父親は元々男の子が欲しかったので、
娘である大原麗子さんに対して暴力を振るうことが
あったそうです。
父親の暴力のせいで、彼女の鼻は少し変形して
しまったと言われています。
大原麗子さんは父親を憎んでいたそうです。
父親が用意していたお墓に入りたくなかったそうですが、
亡くなるのが急だったため大原の墓に入っているそうです。
また母親は希望通り大原の墓ではなく、
共同供養塔になったとのこと。
幼少時から壮絶な人生を歩んでいた大原麗子さん。
天国ではゆっくり休まれているといいですね。