「おいしゅうございます」の言葉で親しまれていた
料理記者の岸朝子さんが逝去されたそうです。
これまでの経歴や、現在まで病気で寝たきりだった
という噂が気になったので調べてみました。
プロフィール
名前 岸 朝子(きし あさこ)
生年月日 1923年11月22日
出身地 東京都
身長 非公開
血液型 非公開
趣味 読書、音楽鑑賞、旅行、タバコ
座右の銘 食は命、命は食にあり
経歴
岸朝子さんは沖縄県出身の両親の間に、
東京で生まれました。
父親はカナダと日本で牡蠣養殖を成功させた人物で、
その業界では知らない人はいない程の有名人だそうです。
岸朝子さんは女子栄養学園を卒業後、東大農学部で勤務し
21歳で軍人さんと見合い結婚をしました。
1947年からは夫婦で千葉県に引っ越し、
牡蠣の養殖業を始めたそうです。
1953年には養殖業を廃業し東京へ移住、
1955年に主婦の友社の「料理の好きな家庭婦人を求む」との
求人の応募し、料理記者のキャリアがスタートしました。
1968年からは雑誌「栄養と料理」の編集長を10年間務めています。
そして1993年には、フジテレビ系「料理の鉄人」の審査員として
「料理記者歴40年」という肩書で6年間レギュラー出演。
番組出演中、岸朝子さんは絶対に「まずい」と言わずに
味以外の長所を探してコメントしていたそうです。
決め台詞の「おいしゅうございます」は、
動物や植物の命を頂くことへの感謝の言葉を表しているそうです。
食材を粗末にしてはいけない。戦争が終わった後の日本の家庭は貧乏でしたからね。ぜいたくな物は食べられないから、いい材料がなくても工夫しておいしくいただいていました。今も「お好きなものは」と聞かれると、「何でも」と答えていますよ。飢えた経験のない、若いお嬢ちゃんたちは好き嫌いが激しいようですけど、わが家では好きも嫌いもなく、おいしく食べます。食べることこそが大事です。http://www.sankei.com/life/news/150625/lif1506250021-n2.html
戦争を生き抜いてきた岸朝子さんだからこそ、
心に響く言葉なのかもしれません。
心不全で逝去!?現在まで病気で寝たきりだった!?
料理記者として長いキャリアを積んできた岸朝子さん。
残念ながら2015年9月22日に心不全で逝去されました。
そんな岸朝子さんですが、病気で寝たきりだったという
噂が流れているみたいです。
彼女は愛煙家であることでも有名だったので、
肺の病気でも持っていたのでしょうか??
しかし調べてみたところ、この情報はガセネタでした。
岸朝子さんは大病を患ったことがないそうで、
2015年に入ってからも料理記者として取材活動を続けていました。
2015年1月には女性セブンにインタビューが掲載されていて、
健康の秘訣について語っていました。
健康の秘訣は「好き嫌いをせず、なんでもおいしく頂く事」
と語っていたそうです。
岸さんは幼少時から厳しくしつけられてきたそうで、
岸家は全員好き嫌いがないそうです。
子供のうちにきちんとした食べ方を教えることも大事で、
そのおかげか岸さんからひ孫まで病気知らずとか。
やはり日々の食生活が、私たちの身体を作っていることを
実感させられますね。
その他、毎朝手作りのフルーツジュースを飲んだり
手作りの油味噌を食べることも習慣だったそうです
またお酒やたばこも、大いに楽しんでいたそうです。
何よりストレスをためないことが大切なのかもしれないですね。
60年間もの間、料理記者として日本人の食生活を
豊かにしてくださった岸朝子さん。
心からご冥福をお祈りいたします。